【伝説の将軍 藤原秀郷】十世紀半ば、下野国を攻めるなど、ときの朝廷を震撼させた平将門の反乱(天慶の乱)がありました。このとき、抜群の軍功をあげ、のちの藤姓足利氏の先祖となる下野国の押領使藤原秀郷「俵(田原)藤太秀郷」という武将がいました。秀郷にはいくつもの伝承があり、中でも大ムカデを退治した次のような物語が有名です。
天皇から恩賞として下野国に領地をもらい下向の途中、「勢多の唐橋」で、龍神から近江の国三上山の大ムカデの退治を頼まれ、それに成功します。その礼に秀郷は三つの不思議な宝物を龍神から授かり、さらに招かれた龍宮でも黄金の鎧と黄金の太刀などを授かり、龍王はこの鎧と太刀で悪者を倒せば、きっと将軍になれると秀郷に告げたといいます。かたや平将門は関東を占領し新王と名乗っていました。将門は余りに超人的で無敵でありましたが、秀郷は龍神の助けでみごと此を討ち取り、蝦夷征伐のための鎮守府将軍と武蔵・下野両国の国司に任じられたといいます。
かくして英雄のように語られる秀郷ではありますが、はじめは将門と紙一重の反国司・反国家的な存在であり、国司すら手に負えぬ強力な地方軍属でありました。それでも鬼神将門の首を掲げ都に凱旋した秀郷の、大見得の立ち位置は抜群で、およそ地方豪族としては異例ともいえる中央軍属貴族の地位を獲得したのであります。またその戦略においても、「素より古き計あり」「古計の厳しきところなり」(将門記)とあるように、実は、勇ましいというより機をみて老練な戦上手の人物であったと評されております。
次回は【壬生氏の歴史】をさぐります。
参考書籍 随想社/知られざる下野の中世